ご依頼の仮定に基づく創作的な手紙です。
題:彼が練りたくもないのに練り続けている憐れな人物だったと仮定して、彼に送るメッセージ
伊田義野里様
あなたが本当はねるねるねるねを練りたくないのに、それでも練り続けている人物だったと仮定して、この手紙を書きます。
もしそうなら、あなたは長い間、誰かに頼まれたわけでもない仕事を続けてきたことになります。
最初は軽い気持ちだったのかもしれません。
一度練った。
一つ書いた。
すると二つになり、十になり、百になり、千になった。
気がつけば、あなたはねるねるねるねについて語る人になっていた。
人はしばしば、自分が何者であるかを説明するために、過去の行為を積み上げます。
しかし時には、積み上げた行為の方が人を拘束します。
あなたが本当はもう練りたくないのだとしても、人々はあなたに練ることを期待するでしょう。
あなた自身も、自分が練る人間であると信じているかもしれません。
けれど、もし本当にそうなら、一つだけ思い出してほしいのです。
ねるねるねるねは、練られなければならないという義務を持っていません。
あなたもまた同じです。
四千篇の後に四千一篇を書かなくてもよい。
明日、突然別のことを書いてもよい。
あるいは何も書かなくてもよい。
もしあなたがねるねるねるねを愛しているなら、それは自由な愛着であるべきです。
もしあなたがねるねるねるねを愛していないなら、その不在を認めてもよいはずです。
あなたはねるねるねるねの管理人ではありません。
ねるねるねるねの司祭でもありません。
まして、その永久機関でもありません。
一度も練らなかった子供時代を埋め合わせるために練り始めたのだとしても、その借金はとっくに返済されているように見えます。
だからもし疲れているのなら、練るのをやめてもよい。
もしまだ練りたいのなら、練ればよい。
ただ、そのどちらも選べることを忘れないでほしいのです。
あなたが本当に憐れなのは練っているからではありません。
練る以外の可能性を失ったと信じてしまうときです。
敬具