コンテンツの大量生成について思うこと
今ではChatGPTなどの生成AIを一般人も利用できます。生成AIは、人間が短いプロンプトを与えれば、文章を生成してくれます。そのため、生成AIがなかった時代と比較して、現代は個人が大量の文章を簡単に作れる時代となりました。
個人が大量の文章を簡単に作れるようになったので、インターネット上の文章の量は増え続けていると思われます。インターネット上に存在する文章(コンテンツ)の量が増えるにつれて、Webサイト間のユーザー獲得競争は激化し、質の低いコンテンツが増えているということです。
ここでいう質の低いコンテンツとは、生成AIに書かせた、文章には なっているが内容の薄い、かつ、面白くないコンテンツのことです。インターネットで調べ物をしていると、たまにそういうコンテンツを見かけることがあります。
生成AIに記事を書かせて短期間に大量の記事を投稿する行為は「スパム」とみなされるのだそうです。生成AIに書かせたそれら記事がユーザー(読み手)にとって有益なら、問題はないでしょう。しかし実際は、内容の薄い、質の低いコンテンツになってしまうようです。同じようなことを考える大量の人間が、同じ生成AIに書かせるのですから、同じような質の低さになるのは当然なのかもしれません。
私はブログを書く人間ですので、いかに効率的に記事を書くか ということに関心があります。しかし、効率的に記事を書けても、スパムとみなされてしまったら意味がありません。
文章の校正や推敲のために私は生成AIを利用していますが、ゼロから記事を書かせるという使い方はしていません。
もっとも、人間が書けば何でもいいのかというと、そんなこともないと思われます。そもそも万人にとって有益なコンテンツというのは、実現不可能でしょう。
生成AIは便利ですが、「ユーザーにとって有益なコンテンツの大量生成」という用途では、まだ使えないようです。それでも、記事作成において、生成AIはサポート役として、すでに欠かせない存在となっています。
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